時代とともに変化したサーキットを辿る「富士スピードウェイ編」後編

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2020年6月25日

死傷事故、日本初のF1開催、施設廃止の危機といったさまざまな歴史を経て、富士スピードウェイはコース改修されてきた。今や国内トップカテゴリーや世界選手権格式のレース等を開催し、盛況ぶりを誇るサーキットとして定着しているのは、これまでの改修が功を奏したと言っても過言ではない。

 1974年の6月以降、前編で第1期と称した6kmコースが使われなくなった富士スピードウェイ。いよいよ第2期こと、多くの方々の記憶にもまだ残る4.3kmコース、そして現在に至る第3期コースについて紹介したい。ただし、第2期コースはアクシデントが発生して、初めて用いられたわけではない。そのあたりから話を進めていこう。

 6kmコース主流の頃にも、現在の1コーナーをショートカットとする4.3kmコースは使用されていた。ただし現在のような右回りでなく、もっぱら左回り。その理由としては、最初のレースが開業した年の1966年10月にインディ富士200マイルレースとして開催されているからで、アメリカのレーススタイルをそのまま採り入れたからなのだろう。

 正直、当時を知る身ではない筆者の勝手な想像では、その後1968年から2年にわたって開催された日本カンナムこと、ワールドチャレンジカップ富士200マイルや、1972年の日本グランプリといった、4.3kmコースはごく限られた国際レースのみ使用されていたのだろうと。だが、JAF MOTORSPORTSサイトのリザルトによると、特にフォーミュラカーをメインにするレースでは、少なからず使用されていたようだ。

 今に至る右回りのレイアウトは、件のアクシデント以降。そして第2期の4.3kmコースは、3回の改修が行われている。その理由としてはスピードの抑制があり、1983年に2回の死亡事故が起こっていたためだ。

 最初の事故から間もなく改修計画が具体化するも、FIAの承認が必要とされたため、施工が遅れたことで運用開始となったのは翌1984年。もし、改修が即座に行われていれば、間違いなく2回目の事故は免れていただろうと思うと残念でならない。

 最終コーナーの入口に設けられたシケインはダンロップコーナーと命名され、度胸一番だったコースに、新たなオーバーテイクポイントが加えられた。続いての改修は1986年。1コーナーが30Rと60Rの複合コーナーに改められている。3回目の改修は1987年、100R入口に設けられたシケインのサントリーコーナー。

 余談ながら、サントリーコーナーがAコーナー、ダンロップコーナーがBコーナーを通称とし、先にできた方がAであるまいかと思ったものだが、そこは通過順を優先したのだろう。なお、1990年には二輪レース専用のMCコーナーもヘアピン先に設けられた。

 1975年にはストレート上に仮設シケインが設けられたこともある。不通過の際には今でいうペナルティストップが課せられた。ただしこの年限り。富士スピードウェイの醍醐味でもある、スリップストリームを利用したオーバーテイクの頻度減少が理由ではなかったか。

 そして、2005年にはヘルマン・ティルケ氏設計による、現在のコースが使用されるようになる。着工開始が2003年の10月で、完工は2005年の3月。ヘアピンから先のいわゆるセクター3は以前の面影を全く残さぬほど改められたが、セクター1やセクター2も面影は残していても、まったく同じレイアウトで残されているのはストレートだけ。まさに全面改修であるからこそ、1年5か月もの期間を要したのだろう。

 1コーナーは27Rとより鋭角になり、明確に呼ばれるようになった2コーナーは75Rに拡大。Aコーナーはコカコーラコーナーに改められ、シケイン形状ではなくなった。そして100Rも変わらぬようでいて、実際には178R~106R~95Rの微妙な複合コーナーに。ヘアピンもまた入口こそ30Rのままだが、出口が165Rとされて確実にボトムスピードは向上した。

 そしてダンロップコーナー~13コーナー~GR Supraコーナー~最終コーナーからなる、セクター3は上りながら絶えずステアリングを切り続けるレイアウトが、今まで以上にテクニカルな側面を富士スピードウェイに加えることとなった。このダンロップコーナーはショートカットも可能であったが、経年による路面のうねりが不評で、現在はほぼ使用されていない。

30度バンクが廃止されたものの、富士の醍醐味ともいえる長いストレートは昔とほぼ変わらず。それ以外は大まかな面影を残しつつも、特にセクター3は大きくコースレイアウトが変わっている。
ご存知、富士スピードウェイの現在のコース。時代に合った安全性に適応しつつ、着実に進化を遂げたサーキットと言えよう。

イラスト/高梨真樹 レポート/はた☆なおゆき、JAFスポーツ編集部

※参考文献:「情熱、挑戦、創造 クルマ文化に夢のせて」(トヨタ自動車)、「モータースポーツ百科」、「サーキットの夢と栄光 日本の自動車レース史」(グランプリ出版)、「サーキット燦々」(三栄書房)

<関連リンク>
時代とともに変化したサーキットを辿る「富士スピードウェイ編」前編

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