山野哲也、第3戦エビス西で”全日本ジムカーナ100勝”達成!

レポート ジムカーナ

2018年4月24日

全日本ジムカーナで17回ものタイトルを持つレーシングドライバー山野哲也。1992年に初勝利を挙げて以来、あらゆるマシンで勝ちを重ね、4月22日、ついに100勝目を数えた。

全日本GT選手権やスーパーGTでも合計3度のチャンピオン獲得経験を持つレーシングドライバー山野哲也。全日本ジムカーナには1990年代から挑み続け、CR-XでAⅡを戦った1992年のオートポリス大会で全日本初勝利を挙げているベテランだ。

 2000年代まではホンダ系スポーツモデルを発売と同時に投入して、実績のないクルマを”勝てるマシン”に仕立て上げてきた。その後はN車両のエキシージやPN車両のBRZなどで戦い、現在はアバルト124スパイダーをいち早く投入して、PN2に参戦している。

 レース活動とジムカーナ参戦活動を両立させてきた山野は、全日本ジムカーナでは17回ものチャンピオンを獲得しており、自身が掲げる”マルチドライバー”としてラリーやダートトライアル、そしてパイクスピーク・ヒルクライムなどにも挑戦してきた。

 2013年にスーパーGTの"勇退"宣言を表明してからは、GLOBAL MX-5 CUP JAPANシリーズで初代チャンピオンを獲得するなど、レーシングドライバーとしての活動も続けているが、長期間参戦しているカテゴリーは全日本ジムカーナのみ。

 山野にとってジムカーナ参戦は、もはやライフワークとも言えるもので、その期間は30年を迎えようとしている。

 そんな山野が、4月22日に福島県のエビスサーキット西コースで開催されたJAF全日本ジムカーナ選手権第3戦で、ついに「全日本ジムカーナ100勝」を獲得した。ここでは、激戦が展開されたPN2の戦いぶりをダイジェストでレポートしよう。

 第3戦エビス西のコースレイアウトは、例年とは異なる”逆走レイアウト”となっていた。しかも、島を埋めて新たに舗装した路面を含み、4種類の路面が接する区間にダブルパイロンターンが設定され、ベテランをもってしてもチャレンジングな設定となっていた。

 そして、季節外れの30度に迫る熱波の影響で、路面温度がタイヤの適用範囲を超えてしまい、第1ヒートで勝負が決まってしまう可能性も指摘されていた。
 そういう意味で、第1ヒートは絶対に落とせないハズだったが、実は、山野の124スパイダーは、制御面でのトラブルを抱えており、本調子を発揮できずにいた。

 そのため、山野は2番手タイムに留まり、第1ヒートのトップタイムは開幕戦の勝者・河本晃一に譲ることになった。しかも、山野の後ろには、気鋭の新型スイフトスポーツ勢がコンマ差で迫ってきており、山野にとっては絶対絶命という状況だった。

 第2ヒートになっても、太陽は容赦なく照り付けたため、ラバーが載った路面はグリップ感が掴みにくく、かなり走りにくい状況となっていた。
 そしてPN2では、後半ゼッケンが出走するまで、暫定ベストは河本が第1ヒートのタイムでキープするという”1本目勝負”の様相を呈していた。

 残り2台。山野がスタートする。第1ヒートで抱えていたトラブルは、何とか応急処置を施すことができたが、その成果は走らせてみないと分からない状況だった。
 山野は、前半セクションを小刻みな修正舵を入れながらギリギリの走りで駆け抜けた。そして、中間計時は第1ヒートよりコンマ6秒ものタイムを上げて後半に突入した。

 それを聞いた最終走者・河本が暫定トップのままスタートした。山野は、終盤のダブルパイロン区間に入り、最後のサブロクを回った。ゴールタイムは「1分26秒550」。何と河本のタイムを約コンマ5秒更新して、ベストタイムを叩き出した。

 おもむろにマシンを停め、クルマを降りて腕を組み、河本の走りを見つめる山野。しかし、河本は中間計時を何とコンマ3秒上回る好走を見せて、山野を追い詰めていた。
 ゴールするまで、どちらが勝つかわからない。大きなロスなく後半区間をクリアした河本は、ダブルパイロンを経て無事フィニッシュ。タイムは「1分26秒866」だった。

 山野に約コンマ3秒届かなかった。場内アナウンスでこのタイムを聞いた山野は、ピットレーンに崩れ落ちた。この瞬間、「全日本ジムカーナ100勝」が確定したのだ。

 最後まで自分を苦しめたライバルの河本と抱擁を交わした山野。世紀の瞬間を見守ったギャラリーや大会オフィシャルからは、惜しみない祝福の拍手が贈られた。まるで花道のようなピットレーンを、山野は両手を振りながらハコ乗りで応えて再車検場へと向かった。

 全日本ジムカーナで他の追随を許さない金字塔を打ち立てた山野は表彰式で語った。

「ジムカーナを始めて30年ぐらい経ちました。いつまでジムカーナをやり続けるんだろう? と自分でも思うときがありました。周りからも、レースに行ったほうがいいんじゃないかとか、色々なことを言われてきました。
 レースもやったし、ラリーもやったし、ダートラもやったし、パイクスピークも出た。何でもやってきた。でも、ジムカーナはやめてないんです。

 ジムカーナは運転がうまくなる、これを今でも実感しています。ハタチぐらいのときかな。「これはもう、ジムカーナをやっていれば、絶対運転がうまくなる」と確信したんですよ。それ以来、ジムカーナだけは絶対続けてやろう、という気持ちでここまで来ました。

 いつも新しいクルマを投入したりとか、新しいセッティングを試したりとか、そういう自分の思いを汲んでくれたチームクルーやスポンサー、特にブリヂストンさんは、この100勝を一緒に歩んでいるので、ものすごく感謝しています。

 現在のメインスポンサーであるエクセディさんもそうですが、過去のアペックスさんとか、スプラッシュさん、ビルシュタインさん……みんなが長い間支えてくれていて、僕のチャレンジと、継続する力を与えてくれたのが、この100勝だと思っています。

 この重みを噛み締めながら、これからもずっと頑張っていきたいと思っております。みんなが追い付けないぐらいの成果を出し続けて、そのままカッコ良く逝きたいと思ってますので(笑)、ぜひ応援してください。本当にありがとうございました!」

 山野による”生涯ジムカーナ宣言”も飛び出した記念すべき表彰式。観客も大会オフィシャルも、ライバルたちからも、成し遂げた偉業を讃える大きな拍手が鳴り響いた。

東北名物”フライングスターター”軽部和志によるスタート合図で山野の2本目が始まった。
エビス西では一部の「島」が舗装され、過去になかった広大な舗装の広場が出現していた。
河本晃一の暫定ベストを約コンマ5秒更新した2本目の山野の鬼神の走りに拍手が湧いた。
ピットレーンの途中でマシンを停め、最終走者・河本の走りを静かに見守る山野。
中間計時を上げた河本だったが……場内アナウンスは「河本、届かず2番手!」の声。
阿久津栄一アナの「100勝達成!」の絶叫を聞いた山野は、ピットレーンに崩れ落ちた。
横たわる山野。様々な思いが込み上げる様を悟られないよう、両手は顔を覆っていた。
一方の届かなかった河本は、運転席で目を閉じたまま、険しい表情を見せていた。
ゆっくりと立ち上がった山野は、応援してくれた観客たちに、改めて勝利をアピール。
巡る思いを閉じ込めて切り替えた河本は、歩み寄ってきた山野を熱き抱擁で祝福する。
2人並んで観客にお礼をした途端、再び崩れ落ちた山野。やはり追い詰められていたのだ。
観客席に向かって得意のハコ乗りで手を振る。多くの取材陣もこの瞬間を確かに見守った。
「100 WINS」の記念ボードを手渡される。恒例となったマシンへのキスもしてみせた。
抱えたトラブルはチーム一丸となって克服した。メカニックに見せる表情は安堵のそれだ。
チーム員が車両を再車検場へ持ち込み、山野は次々と祝福に訪れる関係者たちと抱擁する。
自ら観客席を練り歩き、最後まで応援してくれたファンたちにも恩返しの行脚を行った。
2本目の山野は「1分26秒550」、河本は「1分26秒866」。その差は僅かコンマ3秒差だ。
勝利数がついに3桁の「NOW 100 WINS」になったが、それは単なる通過点に過ぎない。
これからもパイロンの先を見据えながら、山野哲也は全日本ジムカーナを「走り続ける」。
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